長福寺
山号を密乗山(みつじょうざん)といい、現在は真言宗泉涌寺派(せんにゅうじは)に属する。
寺伝によれば、寺の創建は秦氏らが活躍した飛鳥時代ともいわれ、
鎌倉時代以降にいったん曹洞宗の寺院となり、また江戸時代中頃には桂宮家の祈祷所であったのを、天明四年(一七八四)に、桃園天
皇の中宮 恭(きょう)礼門院(らいもんいん)が、桜町・桃園・後桃園三天皇と皇子 貞(さだ)行(もち)親王の菩提を弔うため、慈(じ)雲(うん)尊者に帰依して真言宗に改め、再興し現在に至っている。
比丘尼(びくに)御所(尼門跡)の一つで、歴代天皇、皇后、皇族の菩提をつとめ、また尼僧修養道場とされ、久邇宮(くにのみや)朝彦(あさひこ)親王の第四王女 飛(ひ)呂子(ろこ)女王も当寺で六歳から十九歳まで修行された。
本尊の釈迦如来立像は、清凉寺(せいりょうじ)(嵯峨釈迦堂)の奝(ちょう)然(ねん)が宋から
請来した三国伝来釈迦如来像の様式像いわゆる「清凉寺式釈迦如来像」であり、もとは宮中の御物であった。護摩堂に安置されている不動明王像は、伝教大師の作と伝えられている。
庭の「仏足(ぶっそく)石(せき)」は文様陽刻であり、女院御所にあったものを江戸時代の寛政年間に移されたものとされている。庭には、椿が二十種余り植えられており、その中には光(こう)格(かく)天皇から下賜され緋(ひ)竜(りょう)、石橋(しゃっきょう)、小式部(こしきぶ)など勅名の椿や京都の銘椿が見られる。 京都市
基本情報
正式名称 | 長福寺 |
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よみがな | ちょうふくじ |
住所・所在地 | 西京極中町26 |
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