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本間精一郎遭難地

本間精一郎遭難地

 文久2年(1862)閏(うるう)8月20日夜、勤王の志士本間精一郎はここで斬られた。精一郎は越後(新潟県)の人。江戸に出て勉強し、安政大獄ののち京都にのぼって尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に身を投じた。どの藩にも属さなかったので自由に行動することができ、急進派に属した。しかし急進派の動きは伏見寺田屋の変でくじけ、精一郎はその頃から酒色に身をもちくずして、同志からも次第にきらわれるようになった。この夜、先斗町で遊んだ帰り道を、精一郎は襲われた。この南側の瓢箪(ひょうたん)露路を木屋町へ逃げようとしたが、はさみ討ちにされた。いわゆる天誅(てんちゅう)を加えられたのである。時に年29才であった。中京区木屋町通四条上る紙屋町

基本情報

正式名称 本間精一郎遭難地
住所・所在地 木屋町通四条上る1丁目

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