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鳥羽伏見の戦い跡

鳥羽伏見の戦い跡

 ここ城南宮から、明治維新を決定づける戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いが始まった。
 慶応三年(一八六七)十二月九日の王政復古の大号令で江戸幕府は廃され、前将軍徳川慶喜は十二日に京都の二条城から大坂城に退く。けれども、薩摩藩の所業に幕臣等は憤激、四年正月二日、旧幕府兵並びに会津・桑名両藩等の兵からなる大軍が、大坂から京に向かった。
 これに対し朝廷は、翌三日、伏見市街や御香宮神社に薩摩、長州、土佐等諸藩の兵を増派、鳥羽では城南宮から鳥羽街道の小枝橋に至る西参道や鴨川の竹藪、東側の油小路にかけて薩摩軍が布陣した。やがて都を目指し鳥羽街道を北上する旧幕府軍は、城南宮から南南西五百メートルの赤池に達し、入京を阻止する薩摩軍と長時間対峙する。日没が迫り旧幕府軍が強行突破の構えを見せるや、喇叭の音を合図に城南宮西参道の薩摩軍の大砲が轟き銃撃が始まり、続いて伏見でも両軍が衝突、激戦となった。
 四日も下鳥羽から伏見にかけて戦闘が続いたが、仁和寺宮嘉彰親王が錦の御旗を奉じて御所を出陣、との報が伝わり、官軍となった新政府軍の士気は大いに高まった。
 五日、錦の御旗は鳥羽街道を南に進み、旧幕府軍は淀、八幡へ退却、新政府軍が勝利する。そして三月二十一日、明治天皇は城南宮の拝殿で御昼食の後、大坂親征に向かわれた。

基本情報

正式名称 鳥羽伏見の戦い跡
住所・所在地 中島宮ノ後町(城南宮内)

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