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鳥羽伏見の戦跡

鳥羽伏見の戦跡

 この附近は、鳥羽伏見の戦のはじまった所である。

 鳥羽伏見の戦は、明治維新を決定させた戊辰戦争の発端となった戦である。慶応3年(1867)12月9日、王政復古の大号令が発せられると、前将軍徳川慶喜は、一旦大坂城に退いたが、新政府における薩摩藩の行為に憤激した旧幕兵および会津・桑名両藩兵は、翌年1月2日兵を大阪から京都へ進めた。これにたいし朝廷では薩・長・土の諸藩兵を鳥羽および伏見に出し、鳥羽ではこの附近、伏見では御香宮の附近に陣をかまえた。

 こうして1月3日夕刻この附近にまず砲火が開かれ、つづいて伏見において両軍が衝突し、激戦となった。夜半にいたって、旧幕府軍はついに敗退し、その後激戦がつづいたが、5日淀城を収め、6日八幡を抜き、山崎にあった会津藩兵を壊滅せしめることによって、新政府軍の勝利は決定的となった。伏見区中島宮ノ後町

基本情報

正式名称 鳥羽伏見の戦跡
住所・所在地 中島宮ノ後町(城南宮内)

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