京都所司代上屋敷跡
ここより西方大宮通り辺まで(北は丸太町通、南は竹屋町通)の一帯の地で、現在大半が待賢小学校用地となっている。所司代の名称・役職は、室町幕府の侍所(さむらいどころ)にはじまり、徳川時代の所司代は関ケ原合戦の直後設けられ、皇室・公家の監視、京都諸役人の統率、近畿8カ国の訴訟処理、西国大名の動静監視など強い権限を持ち、幕府の老中につぐ最重要役職であった。とくに3代目の板倉重宗は名所司代のほまれ高かった。文久2年(1862)京都守護職の新設で所司代はその管轄下に属し、王政復古(おうせいふっこ)により廃止された。跡地には、明治3年、わが国最初の中学校・京都府立京都第一中学校が建てられた。
基本情報
正式名称 | 京都所司代上屋敷跡 |
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よみがな | きょうとしょしだいかみやしきあと |
通称名称 | - |
よみがな | - |
住所・所在地 | 中京区丸太町猪熊通下ル |
アクセス | 市バス 堀川丸太町 |
開催日時 | - |
営業時間 | - |
定休日 | - |
TEL | - |
ホームページ | - |
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