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慈眼寺

慈眼寺

 当寺は、福聚山(ふくじゅざん)と号する曹洞宗の寺である。天正16年(1588)鷹司信房(たかつかさのぶふさ)の北の方(嶽星院(がくせいいん))が、父に当たる熊本城主、佐々陸奥守成政(さつさむつのかみなりまさ)の菩提を弔うため、信秀(信長の父)の伯父に当たる大雲永瑞(えいずい)を請して建立された。

 当初、西陣の地に建てられたが、後、寺町丸太町に移され、次いで寛文3年(1663)この地に再建された。

 成政は、安土桃山時代の武将で、織田信長に仕え戦功をたてたが、信長歿後の天正15年(1587)、肥後国(熊本県)の検地に際し、住民の反乱を招いた責任を問われ、豊臣秀吉より切腹に処せられた。

 境内墓地には、江戸末期の南画家、山本梅逸(ばいいつ)の墓がある。

 また、梅逸筆「名花十友図」・「雲龍」、孫億筆「牡丹小禽図」(京都国立博物館寄託)、載文進筆「双鹿図」、曽我蛇足(雪舟の弟子)筆「山水図」等の絵画や、鷹司家愛用の煙草盆等を有する。上京区出水通七本松東入七番町

基本情報

正式名称 慈眼寺
住所・所在地 出水通七本松東入七番町

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