安楽寿院
真言宗の寺
保延三年(一一三七)鳥羽離宮の東殿を寺に改めたことに始まる。開基は鳥羽上皇、覺法法親王を同志に落慶した。保延五年(一一三九)本御堂(ほんみどう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九躰阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂等が建てられた。
保元元年(一一五六)鳥羽法皇(上皇)が本御塔に葬られた。鳥羽天皇安楽嘉院陵はそのあとである。
保元二年(一一五七)、皇后美福門院は新御塔を建立、ここは後に近衛天皇の遺骨が納められた。近衛天皇安楽嘉院南陵がそれであり、現在の多宝塔は慶長十一年(一六〇六)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものである。
現在の安楽嘉院は真言宗智山派に属し、本阿弥陀如来座像(重要文化財)は鳥羽上皇の御念寺仏と伝えられ、胸に卍が記されているため卍阿弥陀とも呼ばれる。境内は京都市史跡に指定され、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、冠石が現存し、孔雀明王画像、阿弥陀聖衆来迎図、普賢菩薩画像(いずれも鎌倉時代、重要文化財等)を所蔵する。
なお、当院は鳥羽伏見の戦いのおりには官軍(薩摩軍)の本営となったところである。
基本情報
正式名称 | 安楽寿院 |
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住所・所在地 | 竹田中内畑町 |
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