将軍塚
将軍塚は、8世紀の末、桓武(かんむ)天皇が平安京造営に際し、王城鎮護のため、高さ8尺(約2.5メートル)の土の人形に甲冑(かっちゅう)を着せ、弓矢を持たせ、京都の方を向けて埋めた塚であると伝えられている。平安末期以後、天下に異変があるときは必ずこの塚が鳴動して前兆をあらわすという伝説が生まれ、「源平盛衰記」によると、源頼朝(よりとも)挙兵の前年、治承3年7月には、三度にわたってこの塚が鳴動し、ついでまもなく大地震が起ったという。 この付近からは、古墳石室や経筒(きょうづつ)などが発見され、古墳の一つは大日堂の枯山水庭園の一部となっている。 なお大日堂に安置する本尊大日如来像は付近の山中から発見された花頂院の遺仏と伝えられる。境内には、日露戦争で活躍した東郷元師や黒木大将の手植の松があり、美しく整備されている。山科区厨子奥花鳥町(将軍塚青蓮院境内)
基本情報
正式名称 | 将軍塚 |
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住所・所在地 | 厨子奥花鳥町(将軍塚青蓮院境内) |
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