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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓

 慶応4年(1868)正月の鳥羽伏見の戦で戦死、病死した周防・長門(山口県)出身者の墓がここにある。王政復古ののち、朝廷、長州、薩摩藩らの処置を不満とした幕臣、会津藩らは、正月1日挙兵、大阪から京都に入ろうとし、長州、薩摩は伏見、鳥羽でむかえうった。長州藩は伏見街道を守って東福寺を本陣とし、約2100人が布陣。正月3日夕刻戦争が始まり、4日、5日と伏見、鳥羽で激戦がつづき、幕府軍は後退して、10日、戦は終った。長州藩の戦死、病死者は、石川厚狭介(あさのすけ)以下48名。本陣東福寺の山上にあたるこの地に遺体を葬り、墓地とした。明治33年、33回忌にさいし、現在の墓が整備された。東山区東福寺恵日山南岳

基本情報

正式名称 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓
住所・所在地 東福寺恵日山南岳

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