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鷹場址

ここ向島地域にはかつて、鷹狩りに使う鷹を訓練する場があったと言われている。古くは、向島鷹場町の北端に大きな池があり、そこで水鳥を飼い、鷹の訓練にも活用していたと考えられている。
鷹狩りとは、鷹やハヤブサなどの猛禽類を飼いならして、ウサギや鳥類などを採る狩猟法の一種であり、大陸から伝わった頃は天皇や貴族など身分の高い人々の娯楽であった。戦国時代には、戦の戦術、勝つ為の備えとして、特に織田信長が好んで行っていたという。
豊臣秀吉が慶長3年(1598年)に伏見城にて死去した後、翌年(1599年)には、徳川家康が伏見城に入る。家康は鷹狩りを好んだ人物として知られており、山城伏見では伊部勘右衛門が家康の鷹匠を勤めていたとされる。
家康は天下統一を果たした後、本拠地の三河をはじめ、各地で鷹狩りを楽しんだという。家康は鷹狩りを権威の象徴として、限られた者しかできないと定めた。
京都市

基本情報

正式名称 鷹場址
よみがな たかばあと

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