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木曽義仲首塚

木曽義仲首塚

 木曽義仲は、源義朝の弟である義賢の子で、頼朝、範頼、義経兄弟とは従兄弟にあたる。幼くして父を失い、中原兼遠の手で木曽山中に育てられた。平家打倒のため兵を挙げた源頼政が戦死した治承4年(1180)に、義仲も木曽で挙兵し、日の出の勢いで平家を追討し、寿永2年(1183)京都に入り、朝日将軍と呼ばれた。

 しかし、翌3年1月20日、源義経の軍勢に追われ、兼遠の娘巴(ともえ)を伴って瀬田に落ち、宇治川の戦いで敗れた。

 この日、義仲(33才)、今井兼平等が戦死し、巴は御田八郎を討ち取って東国に走り、義仲の最期を遺族に伝えた。その後、病のため京都に残されていた家来の一人が、主人義仲の首をここに葬らせたといわれている。

 また、傍にある八坂墓は、光孝天皇の外祖母、藤原数子の墓といわれている。東山区金園町(法観寺内)

基本情報

正式名称 木曽義仲首塚
住所・所在地 金園町

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