平岡八幡宮
当社は梅ヶ畑(うめがはた)八幡宮とも呼ばれ、応(おう)神(じん)天皇を祭神とする右京区の梅ヶ畑一帯の産土社(うぶすなしゃ)である。大(だい)同(どう)四年(八○九)に神護寺の鎮守として空海が大分県の宇佐八幡宮から勧請したのが起源であり,応(おう)永(えい)十四年(一四○七)の焼失後には足利義満が社殿を再建している。
現在の本殿は、文政(ぶんせい)九年(一八二六)に造営されたもので、大工は上嵯峨の宗兵衛と室町の中川常右衛門藤原忠寛である。この本殿は市内に現存する数少ない切妻造(きりづまづくり)本殿の一つであり、平成十二年に京都市の有形文化財に指定されている。本殿天井には極彩色の花卉(かき)図が四十四面描かれており「花の天井」と呼ばれ、更に内法(うちのり)長押(なげし)には熨斗(のし)に包まれた梅や椿が描かれるなど装飾性の強い空間になっており,これら彩色画を描いたのは綾戸鐘次郎藤原之信である。
また,毎年十月の祭礼「三役(さんやく)相撲(京都市無形民俗文化財)」は地元の子供と大人が取り組み,神の加護を受けた子供が勝つという古くから伝わる神事である。
基本情報
正式名称 | 平岡八幡宮 |
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よみがな | ひらおかはちまんぐう |
住所・所在地 | 梅ケ畑宮ノ口町23 |
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