五辻殿跡
五辻殿は,後(ご)鳥羽(とば)上皇(一一八〇~一二三九)の院御所(退位した天皇の住まい)として,元久(げんきゅう)元年(一二〇四)から使用された邸宅であり,「三(さん)長記(ちょうき)」(藤原(ふじわら)長兼(ながかね)の日記)には「五辻南・大宮西・櫛笥(くしげの)末(すえ)」に位置したとある。
造営者は上皇の生母 七条院殖子(しちじょういんしょくし)(一一五七~一二二八)の弟 坊門(ぼうもん)信(のぶ)清(きよ)(一一五九~一二一六)であり,建(けん)仁(にん)三年(一二〇三)に播磨国(はりまのくに)を賜った際に造進した。
上皇の院御所としては,数十箇所知られているが,高陽院(かやのいん)と二条殿(にじょうどの)が恒常的に使用されており,五辻殿の使用は短期間であったようで,元久三年(一二〇六)以降は不詳である。
この石標はその跡を示すものであり,大正5年に五辻殿推定地(五辻通浄福寺西入南側)に建てられたが,のちに嘉(か)楽(らく)中学校を経て,一九九九年に現在地に移された。
京都市
基本情報
正式名称 | 五辻殿跡 |
---|---|
よみがな | いつつじどのあと |
住所・所在地 | 五辻通千本東入 |
この情報を共有する
-
Twitterでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEで送る
URLをコピー