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後藤象二郎寓居跡

後藤象二郎寓居跡

このあたりは,土佐藩士であり、後に明治新政府でも活躍した後藤象二郎(一八三八~一八九七)が京都に滞在中、常宿とした醤油商「壷屋」があった所である。  後藤象二郎は義叔父である吉田東洋(とうよう)の塾で学び、安政五年(一八五八)には東洋の推挙で幡多(はた)郡の奉行職に就いた。文久二年(一八六二)東洋が暗殺され、武市(たけち)瑞山(ずいざん)(半平(はんぺい)太(た))らの土佐勤王党の力が大きくなると、政治の一線から身を引き、江戸で西洋の学問を始め航海術を学んでいる。元治(げんじ)元年(一八六四)以降,再び藩政に返り咲き,土佐勤王党の弾圧をはじめ,武市を切腹に追いやり、前藩主の山(やま)内容堂(うちようどう)の信任を得るところとなる。慶応(けいおう)二年(一八六六)には参政職に、翌三年には家老職に就き、土佐藩の若き重臣となる。 坂本龍馬の船中八(せんちゅうはっ)策(さく)の考えに強く感銘を受け,山内容堂を通じて将軍 徳川慶喜に大政奉還の必要性を説いた。 明治維新後、新政府では盟友である板垣退助らと共に自由民権運動にも力を注ぐ一方、逓信(ていしん)大臣(郵便や通信を管轄する)や農商務大臣など政府の重職にも就いている。  京都市                              後藤象二郎ギャラリー(平成30年6月1日オープン)についてはこちらURL:https://www.resol-kyoto-k.com/museum/

基本情報

正式名称 後藤象二郎寓居跡
よみがな ごとうしょうじろうぐうきょあと
住所・所在地 大黒町

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