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天誅組 吉村寅太郎寓居跡

天誅組 吉村寅太郎寓居跡

 この地、すなわちもと木屋町三条上る35番路地は、幕末の勤王志士吉村寅太郎が文久3年(1863)に仮住まいをしていた場所である。このあたりは、高瀬川の舟運によってにぎわい、幕末の志士たちの絶好のかくれ家となったところで、付近に武市(たけち)瑞山、佐久間象山、桂小五郎などの寓居跡があり、池田屋もほど近い。  吉村寅太郎は土佐(高知県)の人で、庄屋の生まれ、武市半平太の教えをうけて勤王党に加わり、文久2年には土佐を抜けだして入洛、尊王攘夷運動に加わった。寺田屋事件で一たん帰国したが、文久3年3月再び上洛してここに住み、尊王攘夷運動の中心の一人として活躍し、各藩の志士を集めて討幕軍を組織した。同年8月、中山忠光らと天誅組を起して、大和五条(現・奈良県五条市)の幕府代官所を占領した。しかし、京都政界の変化によって討伐をうけ、9月16日、大和鷲家口で戦死した。時に年27才。中京区三条木屋町上る上大阪町

基本情報

正式名称 天誅組 吉村寅太郎寓居跡
住所・所在地 三条木屋町上る上大阪町

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