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木戸孝允邸宅跡

木戸孝允邸宅跡

 木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。天保4年(1833)生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改める。吉田松陰の門下生で、西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、討幕運動に指導的役割を果たした。

 文久年間から慶応年間の京都の政局は主導権をめぐり激しく動いていた。その中心は朝廷であり御所を核に公卿屋敷が政治の拠点でもあった。この木戸旧邸は、その拠点の一隅に位置し、近衛家の下屋敷を譲り受けて別邸となしたもので木造二階建であった。

 明治10年(1877)5月19日、病気療養中の木戸に明治天皇の行幸があったが、同月26日薨去、享年44歳。

 妻、松子は尊攘運動のころ、木戸を庇護した芸者幾松である。夫妻の墓は東山の霊山にある。中京区末丸町


【参考】
※木戸孝允旧邸・達磨堂紹介ページ
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=6000166

基本情報

正式名称 木戸孝允邸宅跡
住所・所在地 末丸町

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