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寺院・神社

晴明神社

本殿:境内のもっとも奥に、晴明公をお祀りする本殿があります。晴明桔梗が随所にあしらわれ、おごそかな雰囲気に包まれています。現在の本殿は、明治38年に建てられたものです。

本殿:境内のもっとも奥に、晴明公をお祀りする本殿があります。晴明桔梗が随所にあしらわれ、おごそかな雰囲気に包まれています。現在の本殿は、明治38年に建てられたものです。

安倍晴明公像:当神社が所蔵する安倍晴明公の肖像画を元に作成されました。晴明公が、衣の下で印を結び、夜空の星を見て遠く天体を観測しておられる様子をあらわしています。

安倍晴明公像:当神社が所蔵する安倍晴明公の肖像画を元に作成されました。晴明公が、衣の下で印を結び、夜空の星を見て遠く天体を観測しておられる様子をあらわしています。

晴明井:晴明公が念力により湧出させた井戸が、この晴明井です。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲んでいただけます。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。恵方は毎年変わりますので、立春の日にその向きを変えます。

晴明井:晴明公が念力により湧出させた井戸が、この晴明井です。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲んでいただけます。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。恵方は毎年変わりますので、立春の日にその向きを変えます。

一條戻橋:安倍晴明公とも縁深い一条戻橋は、平成7年に架け替えられ、現在も晴明神社から南へ100メートルのところにある堀川に架かっています。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしです。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を境内に再現しています。

一條戻橋:安倍晴明公とも縁深い一条戻橋は、平成7年に架け替えられ、現在も晴明神社から南へ100メートルのところにある堀川に架かっています。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしです。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を境内に再現しています。

厄除桃:古来、中国また陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれます。『古事記』や『日本書紀』などでも魔物を追い払う様が描かれています。昔話、「桃太郎」もこれに由来するものだと思われます。誰にでも、自身の厄や、まがまがしいものがあります。それをこの桃に撫で付ければ、清々しい気持ちになることができます。

厄除桃:古来、中国また陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれます。『古事記』や『日本書紀』などでも魔物を追い払う様が描かれています。昔話、「桃太郎」もこれに由来するものだと思われます。誰にでも、自身の厄や、まがまがしいものがあります。それをこの桃に撫で付ければ、清々しい気持ちになることができます。

〜陰陽師 安倍晴明公をお祀りする晴明神社〜

晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社です。
創建は、寛弘4(1007)年。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものであったとされています。ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小。古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25(1950)年には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明公の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。
近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになりました。平成15(2003)年には、御鎮座壱千年祭が斎行されました。

基本情報

正式名称 晴明神社
よみがな せいめいじんじゃ
通称名称 晴明神社
よみがな せいめいじんじゃ
住所・所在地 京都市上京区堀川通一条上ル晴明町806
アクセス 市バス「一条戻橋・晴明神社前」下車すぐ
市バス「堀川今出川」下車、徒歩約2分
開催日時 -
営業時間 -
定休日 -
TEL 075-441-6460
ホームページ https://www.seimeijinja.jp

料金・入場料・拝観料

なし

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