太秦(うずまさ)という地名の由来に深い関わりを持つ、渡来系氏族の秦氏。日本書紀には、機織の技術集団であった秦氏は朝廷への税金の代わりに絹や布を献上していたと記されています。それらをうず高く積み上げていたことから、朝廷が与えた姓が「兎豆満佐(うずまさ)」。そこから、拠点を表す「太」という漢字を当てはめ、「秦氏の拠点」を表す「太秦」になったとの説も残されています。秦氏の歴史を体感できるのが、今もその姿をとどめる古墳です。京都市で古墳を見ることができる意外性も、太秦の魅力でしょう。さらに、太秦には「日本のハリウッド」と呼ばれるほど隆盛を誇った映画のまちという一面も。今、東映太秦映画村や松竹撮影所がその文化を継承しています。秦氏の歴史ロマンと映画カルチャーを感じる旅へと出かけませんか。
※撮影時のみ、マスクを外しています。
※右に横スクロールすると全体が確認できます。
PICK UP SPOTは、メインスポットの前後での立ち寄り先候補としてご紹介するスポットです。ぜひいろいろと組み合わせ、あなただけのオリジナルコースを作ってみてください。
PICK UP SPOT
境内には珍しい三柱鳥居
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寺院・神社
木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)
「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社」の別名は、「蚕ノ社」。秦氏が養蚕の神様をまつったことから名付けられました。境内に建つ白清社も秦氏ゆかりの社。1キロメートルほど南に位置する天塚古墳から稲荷神が遷座したとの説が残っており、この古墳が秦氏の墓と考えられているのです。本殿西に建てられているのは京都三珍鳥居の一つ、三柱鳥居。三つの鳥居を正三角形に組み合わせた形が特徴です。現在は柵などで囲われているため近づくことはできませんが、以前は三方向から拝めるようになっていたそうです。
映画やアニメの歴史に触れる
2カ所の石室を持つ前方後円墳
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名所・旧跡
天塚古墳
民家の間の小道から階段を上がり、「天塚古墳」へ。秦氏の墓とされる前方後円墳で、6世紀前半ごろのものと考えられています。石室は2カ所。一つは全長7.7メートルで墳丘部分に沿って整備されたルート上に。もう一つは全長10メートルで墳丘に隣接する建物内にあります。これらの石室からは、明治20年(1887)の発掘調査の際に銅鏡や馬具など約400点の副葬品が出土した記録が。石室のかつての姿に思いをはせながら、ひとときを過ごしてみては。建物内の石室の見学については事前申し込みが必要です。希望者は京都市文化財保護課までお電話を(電話/075-366-1498 ※平日〈月~金〉の8:45~17:30)。
映画文化を感じるランチスポット 「キネマ・キッチン」
撮影衣装のまま、かつらをつけたまま。かつては、そんな姿で行き来をする映画スターの姿も多く見られたという大映通り商店街。今はキネマストリートの名前で親しまれています。全長約700メートルの通りには、フィルムを描いた舗装が施されていたり、映画のカメラを模した街灯が設置されていたり。映画文化が漂う商店街です。
大映通り商店街で目を引く、高さ約5メートルの大魔神像。映画のまち・太秦のシンボルとして、キネマ・キッチンから西へ300メートルほど離れた場所でまちを見守っています
「キネマ・キッチン」が位置するのは、商店街のちょうどなかほど。カフェでありながら、映画にまつわる貴重な資料を展示した博物館でもあります。また、イベントなどを行う地域のコミュニティースペースとしての役割も担うスポットです。
店内に入ると、正面の棚に置かれた映画の台本が目に飛び込んできます。中には鉛筆でセリフの注意点や修正が走り書きされているものもあり、俳優やスタッフの息づかいが伝わってくるようです。入り口の左側には、映画「大魔神」のポスターが何枚も。この近くにあった大映の撮影所で制作された作品です。そのほか、撮影の合間に撮られた往年の名俳優の写真も多数展示。映画ファンならずとも、つい足を止めてしまうでしょう。
映写機やカメラなどもあちこちに飾られています。これらの多くは、近隣の映画関係者等から寄贈されたもの。資料を見たり、手に取ったりすることで、映画をより身近に感じてほしいとの願いがあると言います。映画文化を次世代に受け継いでいってほしい、そしてますます映画文化が発展してほしい。そんな思いも感じられます。
「からあげ和ごはんランチ」(ドリンク付き)は1000円(税込み)。メインのからあげとみそ汁、大盛り無料のごはんとおばんざい(3品)付き。午前11時~午後2時の限定メニュー。
こうした映画文化を感じながら食事をいただけることも楽しみです。メニューの中で人気が高いのは、メインを4種類から選べる「和ごはんランチ」だそう。メインの一つ、「からあげ」は、生姜がきいた特製だれにつけこんだ鶏もも肉がジューシー。小皿で付くおばんざいとごはんは、大盛り無料。スタッフの愛情がこもった料理を存分に味わって、午後からの観光も楽しみましょう。
スポット情報はこちらをご覧ください
住宅街に残る7世紀の痕跡 「蛇塚古墳」
大映通り商店街から路地に入った静かな住宅街。歩いていると、突然、いくつもの黄色っぽい巨石が積み重なった不思議な光景に出合います。これは古墳時代後期の7世紀後期に作られたとされる国指定史跡の「蛇塚古墳」。もともとは全長75メートルもの西南向きの前方後円墳だったのですが、覆っていた土が歳月によって失われ、円形の部分にあった石室がむき出しになったと考えられています。後円部東南に開口している石室の全長は17.8メートル。京都府で最も大きい石室です。大小30数個の石が使われていて、大きいもので縦4メートル、横5メートル、高さ2.5メートルもあるものも。どうやってここに運んで、どうやって積み重ねたのだろうと考えると、不思議でなりません。
古くは渡来系氏族の秦氏が住み、機織りや農業を行っていた太秦地区。この蛇塚古墳も秦氏一族の墓ではないかと言われています。古墳はフェンスで囲まれていますが、事前に京都市文化財保護課に申し込みをすれば、石室の中に入ることも可能です(電話/075-366-1498 ※平日〈月~金〉の8:45~17:30)。ちなみに蛇塚という名称は、石室内にかつて蛇が多く生息していたことから付けられました。
石室には、迫りくるような石と石の間に通路が作られています。身をかがめ、石の下をくぐっていくと、ややひらけたスペースに出ます。かつて石棺が置かれていた「玄室」です。長さ6.8メートル、幅3.9メートル、面積は25.8平方メートルあり、玄室の床面積では京都で1番の広さ。また、正面にはひときわ巨大な「奥壁」と呼ばれる石があるのも特徴的で、厳かな雰囲気はここがお墓であることを思い起こさせます。
見回してみると、石と石の間に入り込んだ木の根や石の表面についた傷跡が、時の流れを感じさせるものの、石棺や副葬品などは残っておらず、1200年前からあるのは静かにたたずむ巨石だけ。昭和40年(1965)ごろから石室部分だけを残して周囲に住宅が建てられましたが、その景色からは地域の人に大切にされてきた歴史を感じます。
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