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御殿医奥渓家下屋敷跡

御殿医奥渓家下屋敷跡

 この茅葺(かやぶき)の門は長屋門(ながやもん)といい、かっては間口11間(約20メートル)もあった江戸時代中期の建物である。  持主の奥溪家は、九州大友氏ゆかりの家で、江戸時代のはじめ、江戸にでて医学を修め、元和6年、東福門院(後水尾天皇の中宮、徳川二代将軍秀忠の女(むすめ))は侍医(じい)となって京都に移り住んだ。いわゆる御殿医(ごてんい)であった。  本宅は一条烏丸にあり、下屋敷としてこの屋敷がつくられた。下屋敷は数ヶ所に武者窓(むしゃまど)をあけている。この長屋門が建築された頃は堂々たる威容を誇っていたはずである。なお、門内正面に二階建の本宅があり、土間には供待(ともまち)を設け、二階に茶室をしつらえるなど、江戸時代の格式高い様式をよく伝えている。京都市内にあって、ともに江戸時代の民家の貴重な遺構である。上京区北町

基本情報

正式名称 御殿医奥渓家下屋敷跡
住所・所在地 上京区天神道上ノ下立売上ル北町573

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