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清和天皇社

清和天皇社

清和天皇(八五〇~八八〇・平安時代前期)は文徳天皇の第四皇子で、わずか九歳で即位した。二十七歳のときに、子の陽成天皇(九歳)に譲位し、三十歳で出家した後、仏道修行のため近畿各地をまわり、最後に水尾山寺に入った。 水尾は都からも近く、静かで清らかな地であったため、清和天皇はこの地を終焉の地にと考え、里人も感激して天皇のために新しい仏像を建てることとなったが、病気になり、粟田山荘にあった円覚寺で三十一歳で亡くなった。 遺骨は遺言により水尾山上に葬られ、現在の清和天皇水尾山陵(当地から約一キロメートル)となっている。 境内には水尾の最初の氏神と伝えられる四ヶ所の神を祀る四所神社が摂社として祀られている。 当社に伝わる神輿は、ある皇女が丹波国北桑田郡弓削村(現在の右京区京北)に害獣の猪や鹿を退治に行く途中、水尾村まで神輿で来て、村の御籠に乗り換えた際に、残された輿を神輿にしたものという。

基本情報

正式名称 清和天皇社
住所・所在地 嵯峨水尾宮ノ脇町

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