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楊貴妃観音堂

 唐の玄宗(げんそう)皇帝の妃楊太真皇后は、楊貴妃の名で知られる絶世の美女であり、貞節の徳をたたえられたが、その美貌のために却って、玄宗の失政と安禄山の乱をよび、唐の至徳1年(756)妃は安禄山のために討たれた。安禄山が討たれた後皇帝玄宗は亡き妃の面影をしのぶため、香木によってその等身坐像にかたどった聖観音像を造った。

 たまたま建長7年(1255)中国に渡った湛海(たんかい)はこの像を持帰り、ここに安置したという。以来100年目毎に開扉されてきた秘仏であったが、昭和31年から厨子の扉は参拝者のため開かれることになった。

 仏体は寄木造(よせぎづくり)で宝冠は宝相華唐草(ほうそうげからくさ)のすかし彫、その下に観音の冠を重ね、手に極楽の花宝相華(かほうぞうげ)をもち、口もとや目もとの曲線は、えもいえぬ尊容を漂わせている。観音の慈悲と楊貴妃の美貌が渾然(こんぜん)一体となり、太秦(うずまさ)広隆寺の弥勒菩薩の美しさに相対する美貌の仏像である。東山区泉涌寺山内町

基本情報

正式名称 楊貴妃観音堂
住所・所在地 泉涌寺山内町

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