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寒天発祥之地

伏見での寒天製造は、18世紀初頭に編纂された『和漢三才図会』の石花菜(ところてん)の項に「城州伏見の里にて之製す」と寒天の説明があり、江戸時代初期には伏見で主に生産されていたことがうかがえる。18世紀後半の伏見を紹介する『伏見鑑』には、「元来、伏見にて作初る産物なり」とあり、伏見が寒天発祥であるとしている。この他、同書には、御駕籠町(おかごちょう)に寒天仲間が置かれていたとある。また、大正時代にかけて、寒天を材料の一つとする練羊羹(ねりようかん)が伏見名物となっていた。伝承として、薩摩の島津公への食事接待の際に偶然、製法が発見されたことや、黄檗(おうばく)万福寺の隠元和尚による命名、寒天発祥は美濃屋であるといったことなどがある。特に美濃屋については土地台帳で、近代に御駕籠町に存在したことが確認できる。このように、御駕籠町を中心に伏見には寒天にまつわる史実や、発祥の地とする伝承が多数存在し、これらを考慮すると、江戸時代、伏見が寒天の産地であったことは間違いなく、発祥の地とすることもほぼ確実である。なお、近代以降は、冬の冷え込みがより厳しい、大阪府三島郡北部から京都府南桑田郡樫田村(現在の大阪府高槻市)、更には長野県方面に産地は移り、現在は伏見で生産されていない。令和2年12月27日には有志により、御駕籠町に隣接する京都市立伏見中学校に「寒天発祥之地」の碑が建てられた。

基本情報

正式名称 寒天発祥之地
住所・所在地 伏見区御駕篭町97

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