伏見稲荷大社 楼門
この楼門は、天正十六年(一五八八)六月に豊臣秀吉が稲荷大神に母大政所の病気平癒を祈願し、本復(ほんぷく)御礼(おんれい)の奉加米(ほうがまい)をもって翌年に再興された。その後、元禄七年(一六九四)社頭拡張時に西方へ五間移築し、前方に石段を造り、その折それまで築地塀であった南・北廻廊を絵馬掛所として新造された。再建後明治十四年(一八八一)までの間、屋根の葺材は板葺であったが檜皮葺に変更された。天正時に再興されてから三八五年後の昭和四十九年(一九七四)に解体修理を行った際に当時の墨書が発見された。此れにより伏見稲荷大社の社殿のなかでは本殿に次いで古い建物であると確認された。
廻廊は、彫刻部材等から見て天保期頃のものと考えられ、以後の修理は楼門と同時期に行われている。屋根葺材は楼門と同時期に檜皮葺となった。
楼 門 (重要文化財)
構造 入母屋造 檜皮葺
建立 天正十七年(一五八九)
南・北廻廊 二棟 (重要文化財)
構造 切妻造 檜皮葺
建立 江戸時代中期
京都市
基本情報
正式名称 | 伏見稲荷大社 楼門 |
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住所・所在地 | 伏見区深草藪之内町68 |
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