長谷川家住宅
京都市南区東九条に現存する長谷川家住宅母屋は、平成22年(2010)の改修整備で寛保7年(1742)に建てられたことがわかりました。京都市内では数少ない江戸時代に建てられたことが確実な民家で、表門・土蔵・去木庵とともに国の登録有形文化財になっています。
長谷川家の祖は15世紀中ごろに奈良から東九条の地に移住したと伝えられています。江戸時代には山城国紀伊郡東九条村(現在の京都市南区)の名望家であり、小作による農地経営をなりわいしつつ、領主庄屋として相国寺領を管理していました。苗字帯刀を許された郷士(ごうし)であり、庭田家(公家)の家来もつとめていました。
幕末から明治初めの当主であった長谷川軍記(1822~1871)は27年間にわたる日記を残しています。そのなかに、元治元年(1864)7月19日の蛤御門の変では、会津藩や新選組が東九条村に宿泊し、警備にあたっていたという記述があります。長谷川家には会津藩士が宿泊しました。このとき長州軍の一部が伏見から上京しようとしましたが、勧進橋を警備していた会津藩や新選組の抵抗にあい退却しました。
軍記の孫である良雄(1884~1942)は京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の第一期入学生で武田五一や浅井忠に師事。卒業後は家業に携わるかたわら水彩画に力を入れ、数々の作品を残しています。また学んだデザインを生かした家具も長谷川家には残っています。
京都市
基本情報
正式名称 | 長谷川家住宅 |
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住所・所在地 | 南区東九条東札辻町5 |
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