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旧東海道(日ノ岡の峠道)

この道は、江戸時代には東海道と呼ばれ、日本を代表する街道の一つであった。江戸幕府を開いた徳川(とくがわ)家康(いえやす)が整備したものである。
東海道では幕末まで車の往来が禁止されていたが、都に近い大津・京都間だけは例外であった。人馬が通る道と荷物を積んだ牛車が通る車道(くるまみち)を分けて、車道には舗石が並べられ車石と呼ばれていた。
当初、この辺りの日ノ岡の峠道は、大津から京都への難所の一つで、牛車の通る車道は深くえぐられて、人馬が通る道との段差が生じ、雨が降るとぬかるんで牛車を立ち往生させていた。
そこで木食(もくじき)正禅(しょうぜん)上人(しょうにん)が享保19年(1734年)頃から道路の改修に取り組み、車道に土砂を入れ人馬が通る道との段差を無くしたり、峠の頂上を掘り下げ、その土砂を坂道に敷いてゆるやかな勾配にするなど工夫し、元文3年(1738年)に改修を完成させた。こうして峠道は大きく改善されたのである。
またその後、木食正禅上人は、峠道近くに「梅(ばい)香(こう)庵(あん)」を建て峠道の維持管理をすると共に、井戸を掘り、水を亀の口より落として量救(りょうぐ)水(すい)と名付け、旅人や牛馬の乾きを潤したり、石の竈(かまど)を設けて湯茶の接待をしたりした。
京都市

基本情報

正式名称 旧東海道(日ノ岡の峠道)
よみがな (きゅうとうかいどう ひのおかのとうげみち
住所・所在地 山科区北花山山田町65-4

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