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吉田光由の墓(推定)由緒

 和算の書『塵効記』の著者である吉田光由(1598年~1672年)は,豪商角倉了以の一族で,京都嵯峨に生まれた。
 江戸時代成立(1603年)後,戦乱はおさまり,商業,工業が急速に発達する中,その社会的なニーズに答えた『塵効記』は,1627年の刊行後,ソロバンを使った計算法を記載した算術の教科書として庶民に爆発的に受け入れられ,著者である光由の名は全国に知られるようになった。
 光由は,和算家毛利重能に師事し,一族の角倉了以や角倉素庵から教えを受け,中国の算法統宗を手本に『塵効記』を著したことに加え,兄の光長とともに北嵯峨に農業用トンネル水路の菖蒲谷随道を工事したことでも有名。ここ二尊院は吉田・角倉一族の菩提寺であり,調査の結果,この場所が光由の眠る場所であると推定されている。

基本情報

正式名称 吉田光由の墓(推定)由緒
よみがな よしだみつよしのはか(すいてい)ゆいしょ

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