佐久間象山 大村益次郎遭難の地
元治元年(1864)7月11日の夕刻、この路上を馬に乗って通りかかった佐久間象山は、刺客に襲われて斬られ即死した。
象山は信濃(長野県)松代藩士で、洋学・砲術を学び、開国論を唱え、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰ら多くの俊才を教育した。この時は幕府の命で上京し、海防の相談にあづかるとともに公武合体策をすすめていた。時は池田屋事件の直後で、いきりたっていた攘夷派は、学者象山の説をも受けつけなかった。象山、享年52才。
それから5年後の明治2年9月4日、この地の東側にあった旅宿の奥座敷二階で大村益次郎が斬られ、その傷がもとで益次郎は同年11月5日大阪の病院で歿した。
益次郎は周防国(山口県)の生まれ、家は医者であったが、医学とともに西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって幕末の長州藩や戊辰(ぼしん)戦争に活躍した。ついで明治政府の兵部大輔となり、封建軍隊にかわる近代兵制の創立に努力した。そのため、不平派士族に襲われたのである。益次郎、享年47才であった。中京区二条木屋町下る一之船入町
基本情報
正式名称 | 佐久間象山 大村益次郎遭難の地 |
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住所・所在地 | 二条木屋町下る一之船入町 |
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