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駒札・歌碑

此付近南蛮寺跡

此付近南蛮寺跡

 織田信長の時代に、ヤソ会によって建てられた南蛮寺は、この北側、姥柳町の地にあったと推定される。戦国末期、京都でのキリスト教布教は、永禄2年(1559)から本格化し、永禄4年にこの付近に礼拝堂が設けられた。数々の迫害にあいながら、ヤソ会宣教師は不況に努力、織田信長の保護もあって信者は拡大した。天正4年(1576)、古くなった礼拝堂を再建することにし、数百人の信者の協力と所司代村井貞勝の援助で完成、7月16日献堂式のミサが行われた。これが南蛮寺で、信者の間では珊太満利亜(さんたまりあ)上人の寺とも呼ばれ、京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となった。しかし、天正15年(1587)6月、九州征伐を終えた豊臣秀吉は宣教師追放令を発し、キリスト教弾圧に転じた。南蛮寺もその時に破壊され、ついにこの地には復興されなかった。中京区蛸薬師通室町西入北側

基本情報

正式名称 此付近南蛮寺跡
住所・所在地 蛸薬師通室町西入北側(タキカ㈱前)

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