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百万辺知恩寺

百万辺知恩寺

 長徳山功徳院と号し、浄土宗四本山の一つである。もと賀茂社の社領とされた今出川の北(今の相国寺の辺)に賀茂社の神宮堂あるいは賀茂社の河原屋(かわらや)と呼ばれる草庵があって、法然上人もこの庵に止宿し、布教の地としたが、上人の死後、勢観房源智上人(せいかんぼうげんちしょうにん)は尊師法然上人を敬慕し、そのゆかりの地賀茂社の河原屋に御影堂を建て、功徳院知恩寺と名付けたのが当寺のおこりである。

 元弘元年(1321)疫病が流行した際、宮中で七日間百万遍の念仏を唱え疫病を退散させたので、後醍醐天皇から百万遍の寺号を賜った。その後、転々として寺地を変えたが、寛文元年(1661)この地に移った。

 本堂には、本尊として法然上人四十三才の時の自作と伝える木像を安置し、その東南の御堂には釈迦如来座像を、西方の阿弥陀堂(念仏堂)には阿弥陀如来立像をそれぞれまつる。墓地には法然上人やその弟子源智の廟や画家土佐光起(とさみつおき)の墓などがある。左京区田中門前町

基本情報

正式名称 百万辺知恩寺
住所・所在地 田中門前町64

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