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慈照院

慈照院

 臨済宗相国寺派に属し、もとは大徳院と称した。延徳2年(1490)足利義政の塔所影堂となり、その法号より慈照院とした。

 当院第七世の仏性本源国師(きん叔顕たく(きんしゅくけんたく))は桂宮初代智仁親王、二代智忠親王と親交を深め、寛永6年(1629)には桂宮が当院境内に御学問所を建てられ、同9年に国師に下賜された。この建物が現在の書院棲碧軒(せいへきけん)である。こうしたところから数ある塔頭の中でも格式の高い寺である。

 国師は千宗旦(せんのそうたん)(利休の孫)とも交流があり茶室頤神室(いしんしつ)は宗旦との合作で「宗旦好みの席」とも呼ばれ、四畳半の下座床で躙(にじり)口はなく、南側に障子二枚引の貴人口を設け、床には宗旦に化けた狐の伝説で知られる「宗旦狐」の掛軸がある。また、席内に持仏堂があり布袋像を安置する。この像の首は機に応じて利休の首とすげ替えられるようになっており、当時は世間体をはばかり公然と利休を祀れなかったため、こうした工夫がなされたと伝える。上京区今出川烏丸東入相国寺門前町

基本情報

正式名称 慈照院
住所・所在地 今出川烏丸上る相国寺門前町703

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