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山紫水明處(国定史跡)

山紫水明處(国定史跡)

 頼山陽(らいさんよう)が晩年住んでいた水西荘の書斎で、入母屋(いりもや)造・わら葺・平屋建・内部は四畳半の書室と二畳の待室と水屋がある。閑素なものであるが、四方を開放して防暑防寒の細かい工夫が凝らしてある。鴨川の清流を隔てて、東山三十六峰を一眸のうちに収めることができ、山紫水明處の名にそむかない。

 山陽は、江戸末期の学者で、安永9年(1780)大阪に生まれ、江戸の昌平坂学問所に学んだ。のち、京都に移り、「日本外史」「日本政記」「通議」の三大著作をここで完成した。すぐれた詩も残した。その間篠崎小竹・梁川星厳(やながわせいがん)・大塩平八郎らと親交もあり、文化8年(1811)から天保3年(1832)53才で没するまで約20年間、京都に住み、ここ山紫水明處で没した。山陽の没後、一時、福井藩安藤家の所有となったが、今は頼家の所有となっている。上京区三本木通丸太町上る南町

基本情報

正式名称 山紫水明處(国定史跡)
住所・所在地 三本木通丸太町上る南町

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