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駒札・歌碑

春光院

臨済宗妙心寺の塔頭の一つで、もとは俊巌院と称した。
豊臣秀吉の家来で、後に初代松江(現在の島根県)城主となった堀尾吉晴が、長男・金助の菩提を弔うため天正18年(1590)に建立した。堀尾家3代目の忠晴が病死し、間もなくして断絶したが、忠晴の息女が石川家に嫁いでいたことから、石川憲之が代わって壇超となり、中興して寺名も春光院と改めた。
方丈西庭の常盤の庭は堀尾吉晴の作庭といわれる。また、さざれ石の庭と呼ばれる方丈前庭は、伊勢神宮を表現した枯山水の庭園で、石川氏の伊勢神宮崇拝の厚さをよく表している。
本堂襖絵の金箔画は、江戸後期に活躍した狩野永岳の筆で、琴棋書画図、月と雁図、花鳥図などが描かれている。
方丈東にある銅鐘(重要文化財)は、表面に1577の西暦とIHS(イエズス会の紋章)が鋳出されたヨーロッパ風の金で、寺伝によると、もとは四条姥柳町にあった南蛮寺のもと推定され、当院へは嘉永7年(1854)に移されたという。初期キリスト教を今に伝える貴重な遺産である。 京都市

基本情報

正式名称 春光院
よみがな しゅんこういん

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