大船鉾
神(じん)功(ぐう)皇后(こうごう)の朝鮮出兵伝説にちなみ、鉾全体で船型をかたどり、後祭りの最終を飾る鉾である。屋形中央部に神功皇后、屋形前部に副将住吉(すみよし)明神(みょうじん)、艫(とも)部(ぶ)に操舵手(そうだしゅ)鹿島(かじま)明神(みょうじん)、舳先に龍神(りゅうじん)安曇(あづみの)磯(いそ)良(ら)の四神を安置する。舳先の飾り物として文化十年(一八一四)製の大金(だいきん)幣(ぺい)と、文化元年(一八〇四)製の龍頭(りゅうず)を隔年使用していたが、「蛤(はまぐり)御門(ごもん)の変」の大火(一八六四)により龍頭を焼失、大金幣のみ現存する。古来,四条町は南北に分かれており、交代でこの鉾を出していた。龍頭は北四条町、大金幣は南四条町の所有で各々担当の年に舳先を飾っていたが、明治に入り南北が統合され現在に至る。
前懸(まえかけ)・後懸(うしろかけ)は紅地(べにじ)雲(うん)龍(りゅう)青海(せいがい)文(もん)綴(つづれ)織(おり)で一七世紀末~一八世紀の作、他に文化文政年間(一八〇四~一八二九)に作られた天(てん)水引(みずひき)・下水引(したみずひき)・大楫(おおかじ)などを所蔵する。胴幕に使われている羅紗(らしゃ)は一六世紀ポルトガル製であると伝わる。
尚、この鉾は「蛤御門の変」の大火にて懸(け)装(そう)品(ひん)類(るい)を除き全てを焼失、以来一五〇年間休み鉾となっていたが、平成二六年に復興を遂げた。
基本情報
正式名称 | 大船鉾 |
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よみがな | おおふなほこ |
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