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新撰組発祥の地跡

新撰組発祥の地跡

 ここは、幕末の頃、京都の浪士取締りや治安維持に活躍した新選組の宿所があったところである。

 文久3年(1863)春、将軍家茂の上洛警護のため、清河八郎(きよかわはちろう)の率いる浪士組が入洛したが、その宿舎の1つとして使われたのが、当時壬生郷の郷士宅であった当屋敷であった。浪士組は、在京20日余りで再び江戸に戻ったが、当所に分宿していた、芹沢鴨(せりざわかも)、新見錦(にいみにしき)、近藤勇(こんどういさみ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)らは、引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職松平容保(まつだいらかたもり)の支配に属して「新選組」と名のった。

 当所、新選組は、当屋敷に「新選組宿所」の標札を掲げ、隊員はわずか10数名で発足したが、次第に隊員が増加し、付近の農家にも分宿した。以後、市中の治安維持に努め、元治元年(1864)の池田屋事件で一躍その名を轟かせた。

 翌年の慶応元年(1865)4月、屯所は西本願寺に移された。中京区四条坊城下る壬生梛ノ宮町

基本情報

正式名称 新撰組発祥の地跡
住所・所在地 四条坊城下る壬生梛ノ宮町

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