加賀藩邸跡
この高瀬川の西側、河原町通にいたる間は、江戸時代、加賀(石川県)藩の藩邸があった。藩邸がはじめておかれたのは、江戸初期で、古絵図には高瀬川の橋に、加賀橋の名が残っている。藩邸には留守居役が詰め、町人の御用掛を指名して、各種の連絡事務にあたった。
加賀藩は江戸時代外様の最大の大名で、102万7千石。前田家が代々藩主。幕末の加賀藩は、激動する政局の中で活躍することは少なかった。5代綱紀(つなのり)は学問芸術を愛好して文治(ぶんち)政治を行った英主で、東寺の古文書を整理するなど京都との関係は深く、この伝統はその後もうけつがれた。この藩邸は、かくて文化的に京都と加賀を結びつける上に大きな役割を果たしたといえよう。中京区木屋町通御池角
基本情報
正式名称 | 加賀藩邸跡 |
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住所・所在地 | 木屋町通御池角 |
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