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大峰寺跡

大峰寺跡

 一条戻橋に近いこの地は、古くは大峰野(おおみねの)と呼ばれ、平安時代には、大峰寺と称する寺院があったところである。  大峰寺は、大峰殿とも呼ばれ、大和国(奈良県)吉野の大峰山の名を採った山伏修験者の道場で、当時は、広い寺域に幾つかの坊舎が建てられ、多くの修験者で賑わったと伝えられている。しかし、その後、寺は荒廃し、現在では、石塔を残すのみとなっている。  この石塔は、花崗岩製の高さ2メートル余りある巨大な宝塔で、役行者(えんのぎょうじゃ)の塚、又は、その法孫日円(にちえん)の塚ともいわれている。また、一説には、三条天皇の中宮藤原妍子(ふじわらのけんし)が、万寿4年(1027)9月に没し、当寺の前野(まえの)で火葬されたことから、その供養のため建てられた火葬塚とも伝えられている。  なお、この付近は、現在大峰図子(おおみねずし)町と呼ばれ、当寺の由緒を今に伝えている。上京区西洞院通一条上る大峰図子町

基本情報

正式名称 大峰寺跡
住所・所在地 西洞院通一条上る大峰図子町

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