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平野国臣ら三十三士遺体埋葬地

 幕末尊王攘夷派の指導者平野国臣が処刑された所である。この地はもと「六角獄舎」があったところで安政の大獄以後は、多くの政治犯が収容されたので会所ともいった。

 国臣は、もと福岡藩士で、尊王攘夷運動に参加して脱藩し、生野(いくの)の乱に挙兵して捕えられ、元治元年(1864)1月17日ここに収容された。ところが同年7月19日長州藩兵の入京に端を発した禁門(きんもん)の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)によって、京都市中の大半が兵火に見舞われ、その翌日火勢が「六角獄舎」に迫るや、幕吏は獄中の尊王攘夷派の志士たちを斬った。この時斬られた一人が国臣である。この難にあったものは、国臣のほか、古高俊太郎、長尾郁三郎、水郡善之祐ら37名にのぼった。

 なお、当地は、宝暦4年(1754)に医師山脇東洋がわが国で初めて死体解剖を行った所とも言われ、付近には記念碑も建っている。中京区神泉苑通六角西入因幡町

基本情報

正式名称 平野国臣ら三十三士遺体埋葬地
住所・所在地 円町下る西ノ京中御門東町

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