第1回日本映画発祥の地
19世紀末、初めてスクリーン上に躍動する映像を観た人々の驚きと感動は如何ばかりだったでしょう。その驚きと感動をわが国で初めて享受したのが、京都のこの地でした。
第2回京都・映画誕生の碑
明治41年(1908)、後に日本映画の父と呼ばれる牧野省三氏は、記念すべき第一回作品"本能寺合戦"をこの地において撮影しました。
第3回二条城撮影所跡
明治43年(1910)、牧野省三と手を組んだ横田永之助が興した横田商会は、京都では初めての撮影所を開設しました。その場所は・・・。
第4回尾上松之助の胸像
本で最初の"映画スター"とは・・・。その人の名は"目玉の松ちゃん"の愛称で子供から大人まで親しまれた尾上松之助【おのえまつのすけ】(1875-1926)。そして驚くなかれ、氏が出演した映画の数は、何と1,000本を超えるという超人でもありました。その松ちゃんに会うことの出来る場所、それがこの地です。
第5回牧野省三の遺跡を辿る
日本映画の父と呼ばれる牧野省三(1878-1929)。その遺跡を辿る散策は、日本映画の草創期を訊ねる旅につながります。
第6回山国隊寄進石灯籠
京都の三大祭の一つである時代祭。その先陣をきって進むのは、ピーヒャラ・ドンドンドン・・・あの鼓笛隊、山国隊です。その山国隊と日本映画の父・牧野省三の意外な関係とは・・・。
第7回マキノ省三先生像
牧野省三が、何故に日本映画の父と呼ばれているのか。映画の草創期に於いて果たした功績の大きさ・・・それをじっくりと考えるに相応しい場所があります。
第8回嵐電北野線と映画
平成22年(2010)で開業100年を迎えた嵐電(京福電気鉄道)。京都における撮影所の歴史は、何故かこの北野線に沿って、西へ西への歩みを続けます。そしてその地には、現在も世界文化遺産含む数々の寺院が点在し、ロケ地の宝庫でもあります。
第9回東映京都撮影所
昭和の初期、"日本のハリウッド"と唄にまで唄われた処は?そう、京都の太秦です。そして、その太秦に初めて撮影所をつくった人といえば・・・。
第10回大映京都撮影所跡地
日本映画は黒澤明監督の『羅生門』(1950)を先頭に国際賞を次々と受賞し、戦後黄金期を迎えます。これら一連の名作群を生み出したのは、京都にある撮影所でした。日本映画が世界へ羽ばたく源となった記念すべき地を訪れてみませんか。
第11回松竹京都撮影所
かつて"日本のハリウッド"と呼ばれた映画の都"太秦"にも、新しい映画の息吹が芽生え始めています。
第12回嵐山から奥嵯峨に見る映画の地
京都の一大観光地"嵐山"。そして嵐山から少し足を伸ばすと、日常の喧騒を離れた"奥嵯峨"へ。ここは、観光を楽しみながら同時に心の安らぎも得られる映画ゆかりの地です。
第13回嵯峨野に見る映画ロケ地
嵯峨野の周辺には、悠久の時間が生み出した名刹、そして昔ながらの日本の風景が存在しています。この歴史的景観は、撮影所のある太秦に近いという地の利もあり、ロケ地として重宝されてきました。
第14回保津峡から清滝に見る映画ロケ地
京都市内から少し離れると、そこには雄大な渓谷美が広がっています。大自然に囲まれた絶好のロケ地を巡りながら保養をされてはいかがでしょうか。
第15回キネマ殿
日本に於ける映画製作の歴史も一世紀を超えました。その創世記を築いた映画人たち。京都はそうした多くの映画人が永眠する地でもあるのです。
第16回東映太秦映画村~映画文化館
かつての"日本のハリウッド"太秦には、現在、子供から大人まで「映画」を遊んで観て体験でき、貴重な映画資料も所有・展示している一大テーマパークがあります。
第17回京都府京都文化博物館
東映太秦映画村の映画文化館とともに、京都ゆかりの映画を含む様々な映画資料を保有し、公開している施設があります。
第18回溝口健二の碑
黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男らとともに、世界的に有名な映画監督・溝口健二。フランスの映画監督ゴダールを始め、数々の映画人が訪れた溝口ゆかりの地があります。
第19回洛南に見るロケ地
京都市から南へ足を伸ばすとそこは洛南。この地域周辺には、他に類を見ない、独特の情緒が醸し出されたロケ地が点在しています。
第20回京都の映画関連イベント
映画100年の歴史を刻む京都では、様々な映画関連のイベントが毎年のように行われています。