京都の映画文化と歴史
第1回
日本映画発祥の地
明治維新が終わり、新しい日本を作るために頑張っていた19世紀末、初めてスクリーン上に躍動する映像を観た人々の驚きと感動は如何ばかりだったことでしょう。その驚きと感動をわが国で初めて享受したのが、京都のこの地でした。
日本映画発祥の地
場所:元 立誠【りっせい】小学校(中京区蛸薬師通河原町東入備前島町310-2)
明治30年(1897)2月、当時この地には、京都電燈株式会社(関西電力や京福電気鉄道の前身)がありました。その中庭で2年前(1895)にフランスのリュミエール兄弟によって発明された映画(シネマトグラフ)の試写実験が、行われました。小雪の舞う中だと伝えられています。
発明からわずか2年という早さでシネマトグラフがわが国にもたらされたのは、ひとえに稲畑勝太郎【いなばたかつたろう】氏(実業家・後の大阪商工会議所会頭)の存在によります。折しも万国博覧会の視察と、商用でパリを訪れた稲畑氏は、留学時代の学友・リュミエール兄弟のシネマトグラフの発明を知り、その機材と興行権を購入し、帰国。その試写実験の地として選ばれたのが、京都電燈株式会社でした。なお、試写実験に当っては、島津製作所が変圧器を製作したと伝えられています。現在、この地には、この経緯を記した駒札も設置されています。
まさにこの地がわが国の映像メディア(映画・TV等)の原点であることを知る時、感慨ひとしおです。
「日本映画発祥の地」駒札
高瀬川一之船入
高瀬川沿いに風情を楽しみながら北へ向うと、この辺り一帯が様々な映画・TVのロケ地として重用されていることに気付きます。(『制覇』(1982年/東映/中島貞夫監督/三船敏郎・岡田茉莉子出演)『夜の河』(1956年/大映/吉村公三郎監督/山本富士子出演)、『古都憂愁 姉いもうと』(1967年/大映/三隅研次監督/藤村志保・八千草薫出演)等)
<写真は『制覇』>
<『制覇』(1982年/東映/中島貞夫監督/三船敏郎・岡田茉莉子出演)>
島津製作所創業記念資料館
高瀬川畔を更に北上すると、そこは高瀬川の出発点・一之船入【いちのふないり】。その先に見えるのが、シネマトグラフ試写実験時に変圧器の製作で協力した島津製作所の「島津製作所創業記念資料館」です。
<ストロボスコープ>映画の原理を示すもの。円盤を回転させ円盤の外側の穴から覗くと内部に貼られたイラストが動いているように見える。
明治8年(1875)の創業時から田中耕一さんのノーベル賞に至るまでの科学技術の変遷を網羅した展示物は豊富で、特に科学教育の教材として作られた初期の映像・音響機器の展示は一見に値します。
映画全盛時代の昭和30年代、この木屋町界隈には、マキノ雅弘監督の定宿や、脚本家たちが執筆の為に使用した旅館が散在。夜になると映画人がたむろした名物居酒屋も多く、今もその名残りがあります。