京都市メディア支援センター

京都の映画文化と歴史

第15回

キネマ殿

日本に於ける映画製作の歴史も一世紀を超えました。その創世記を築いた映画人たち。京都はそうした多くの映画人が永眠する地でもあるのです。


キネマ殿
場所:だるま寺(法輪寺【ほうりんじ】)
(上京区下ノ下立売通紙屋川畔)


キネマ殿

JR円町駅からほど近い、紙屋川にかかる下立売通の橋の東側に、だるま寺(法輪寺)があります。臨済宗妙心寺派の禅刹であり、七転八起の起き上がり達磨で有名な寺院です。その境内の一隅にある衆聖堂に「キネマ殿」があります。そこには映画人600有余名もの霊が宗派を越えて合祀されており、それぞれの名前が書かれた位牌が並べられています。幾人か挙げてみますと、横田永之助、牧野省三、尾上松之助、阪東妻三郎、小津安二郎、田中絹代、市川雷蔵、石原裕次郎、美空ひばりと、映画草創期の巨人から時代を彩った大スターまで、みなさんがよく知る映画人ばかりです。

このキネマ殿は、昭和15年(1940)、その人情の厚さで知られた日活京都撮影所長だった池永浩久氏の手により祀られたものです。最初は上京区の自宅に祭壇と集会所が設けられていたものが、戦況の悪化と共に自宅は危険と考え、このだるま寺に奉祀されたのだそうです。その後亡くなった映画人も祀られ、数は増えていきました。
池永氏亡き後も、その遺志は「うずまさ会」(東映OBの集まり)に引き継がれ、現在に至っています。
だるま寺から少し足を延ばせば、京都が生んだ一人の偉大なる映画監督の眠るお寺があります。


大雄寺

下立売通を東へ、七本松通を北へ上がった通り沿いの西側。連なる寺院の中に「大雄寺【だいおじ】」があります。ここは天才監督と言われながら、28歳と10ヶ月の若さで戦病死した山中貞雄(1909-1938)の菩提寺です。


山中貞雄の碑

庭の一角には映画監督・小津安二郎の書による立派な「山中貞雄の碑」があり、彼の業績が称えられています。この石碑は昭和16年(1941)に彼を慕う映画関係者らによる山中会により建立されました。


山中貞雄監督

多くの映画人から愛された山中貞雄。彼の現存するフィルムは、20本を超える監督作品のうち『丹下左膳余話 百萬両の壷』『河内山宗俊』『人情紙風船』(遺作)の3作品だけですが、そのいずれもが鋭い人間洞察とヒューマニズムに溢れる傑作です。山中が生きていれば戦後の映画史も書き換えられたと言われています。


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column

京都には映画のお化けがいる。ある中堅映画監督の弁です。お化けとはいい得て妙。まさに京都の地には100有余年の歴史を経て、映画づくりの酵母菌がそこここに生きています。その源を辿ればまさに草創期以来この京都の地で悪戦苦闘を繰り返しながら、映画に生命をかけて来た先人=活動屋たちの生き様。
そう映画は20世紀の新しい芸術、新しい産業であり、その夢を求めて全国から有能の士、熱い心の士が、この地に集いました。そして流れ去った100有余年・・・その多くの人々が青山としてこの京都を選びこの地に眠っています。


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