京都市メディア支援センター

京都の映画文化と歴史

第8回

嵐電北野線と映画

平成22年(2010)で開業100年を迎えた嵐電(京福電気鉄道)。京都における撮影所の歴史は、何故かこの北野線に沿って、西へ西への歩みを続けます。そしてその地には、現在も世界文化遺産含む数々の寺院が点在し、ロケ地の宝庫でもあります。


嵐電北野線と映画
場所:嵐電・北野白梅町【きたのはくばいちょう】駅~帷子ノ辻【かたびらのつじ】駅


御室にあった双ヶ岡撮影所

駅に沿って巡ってみましょう。
「北野白梅町駅」を出発すると、次は「等持院駅」。牧野が"牧野教育映画製作所"を作った等持院があります。
次は「龍安寺【りょうあんじ】駅」。石庭で有名な世界文化遺産の龍安寺があり、様々な映画のロケ地となりました。(『千利休 本覺坊遺文』(1989年/東宝/奥田瑛二出演)、『いちげんさん』(2000年/メディアボックス/鈴木保奈美出演)等)
また境内の湯豆腐・精進料理の「西源院」は、塔頭だった頃、天才映画監督と言われた山中貞雄(1909-1938)が兄と住み込んでシナリオを執筆した所です。



妙心寺三門

「妙心寺駅」のホームから見渡せる北側一帯には、大正14年(1925)に牧野が建設した「マキノプロダクション 御室撮影所」が存在していました。残念ながら現在その痕跡は残っていません。ここで牧野省三は巨費をかけて自身五度目となる忠臣蔵の映画化に情熱を傾けますが、自宅もフィルムの大部分も焼失する事件を起こしています。 駅南方には妙心寺があり、迷路のような塔頭群の路地が絶好のロケ地となっています。(『十三人の刺客』(1963年/東映/工藤栄一監督/片岡千恵蔵出演)、『壬生義士伝』(2003年/松竹/滝田洋二郎監督/中井貴一出演)等)


<『赤穂浪士』(1961年/東映/松田定次監督/片岡千恵蔵出演)>

そして「御室仁和寺【おむろにんなじ】駅」。北に見える大きな山門は世界文化遺産・仁和寺で、山門と広い境内は数え切れないほどロケ地となりました。(『西鶴一代女』(1952年/新東宝/溝口健二監督/田中絹代出演)、『どら平太』(2000年/東宝/市川崑監督/役所広司出演)等)
やがて嵐電は桜のトンネルを抜け、太秦方面へと向かいます。


鳴滝組

「御室仁和寺駅」から太秦方面に二駅いくと、「鳴滝【なるたき】駅」に到着します。戦前この周辺には"鳴滝組"と称する脚本家八人衆が住んでいました。稲垣浩、山中貞雄などのメンバーが「梶原金八」というペンネームで脚本を共同執筆し、斬新で面白い作品を次々と生み出したのです。
後年、鳴滝には伊丹万作や市川雷蔵も住み、著名な映画人が好んで住んだ特別な場所となりました。
やがて嵐電・北野線は、左手に東映京都撮影所を見ながら、終点の「帷子ノ辻駅」へ到着します。
寺社巡りが同時に撮影所の歴史を巡る旅になる。まさに京都ならではの楽しみと言えましょう。


MAP


column

大正から昭和にかけて、映画界の二つの巨星が亡くなります。大正15年(1926)、尾上松之助が51歳でこの世を去り、3年後の昭和4年(1929)、牧野省三も50歳で亡くなります。二人の死は一つの時代の終わりでしたが、同時に新しい時代の到来も告げます。
阪東妻三郎は牧野から独立し、日本初のスタープロダクションを立ち上げて活躍。伊藤大輔監督、大河内傳次郎主演の『忠次旅日記』が革新的な時代劇としてヒット。牧野省三の息子・マキノ雅弘が、山上伊太郎脚本の『浪人街 第一話』でキネマ旬報第一位を獲得・・・。
その後も牧野が育てたが人材が活躍し、映画界は活況を呈していくのです。


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