京都の映画文化と歴史
第13回
嵯峨野に見る映画ロケ地
嵯峨野の周辺には、悠久の時間が生み出した名刹、そして昔ながらの日本の風景が存在しています。この歴史的景観は、撮影所のある太秦に近いという地の利もあり、ロケ地として重宝されてきました。
嵯峨野に見る映画ロケ地
場所:右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町~嵯峨広沢町
(写真は清涼寺での撮影風景『若さま侍捕物帖 魔の死美人屋敷』)
(1956年/深田金之助監督/大川橋蔵出演)
国宝の木造釈迦如来立像を有し、融通念仏の道場としても知られる「清凉寺」。通称、嵯峨釈迦堂とも呼ばれるこの寺院は、ロケ地として本堂、狂言舞台などの境内各所はもちろんのこと、山門においては大胆にも大きな赤ちょうちんを吊るし江戸の浅草寺に見立てられることがしばしばありました。映画では本物の浅草寺に見えるから不思議です。(『月から来た男』(1951年/大映/佐伯幸三監督/長谷川一夫出演)、『白馬城の花嫁』(1961年/東映/沢島正監督/美空ひばり出演)、『梟の城』(1999年/東宝/篠田正浩監督/中井貴一出演)等)
清凉寺から徒歩10分の距離にある、真言宗大覚寺派の本山「旧嵯峨御所大覚寺門跡」は、昔も今も数え切れないほどの撮影が行われています。運がよければ撮影の現場に遭遇するかもしれません。
重厚な造りの明智門、塀沿いの松と清流、風格ある寺内など、どこを切り取っても絵になる風景ばかり(『女帝 春日局』(1990年/東映/中島貞夫監督/十朱幸代出演)等)。
大覚寺 明智陣屋
<『一心太助 男の中の男一匹』(1959年/東映/沢島忠監督/中村錦之助・月形龍之介出演)>
東に広がる「大沢池」【おおさわのいけ】とその周辺も時代劇には絶好のロケ地になっています(『炎上』(1958年/大映/市川崑監督)、『豪姫』(1992年/松竹/勅使河原宏監督)等)。この寺院だけで様々なシーンを撮る事ができる。それもロケ地として重宝される所以なのです。
嵯峨野(歴史的風土特別保存地区)
大覚寺から東へ山沿いの道を進むと、一帯は田畑が広がり、まるで昔の日本にタイムスリップしたかのようです。ここは京都市の「歴史的風土特別保存地区」に指定された区域。
<『富士に立つ影』(1957年/東映/佐々木康監督/市川右太衛門出演)>
その道が一条通に交差する処に「広沢池」【ひろさわのいけ】があります。こちらも時代劇撮影御用達となっています。船着き場になったり、川の土手になったり・・・皆さんも映画・TVの時代劇で一度ならぬ二度、三度必ずや目にしていることでしょう(『座頭市喧嘩太鼓』(1968年/大映/三隅研次監督)、『どら平太』(2000年/東宝/市川崑監督)等)。
<『木枯し紋次郎』(1972年/中島貞夫監督/菅原文太出演)>
この辺りはかつての嵯峨野の自然が色濃く残っており、池での撮影もさることながら、山際の竹林と雑木に覆われた山中でも、自然を活かした時代劇の撮影が行われてきました。
京都の映画づくりの特長の一つは"見立て"の上手さだと言われています。時代劇の多くは江戸時代、江戸が舞台の作品ですが、その大半は京都の撮影所でつくられており、ロケ地もその殆どが京都です。如何に京都の風景を江戸に見せるか。一例を挙げれば大沢池は、時に上野の不忍池になり、時には江戸の大川端にもなっています。大覚寺の一部が江戸城・大奥になり、その明智門が西国雄藩の江戸下屋敷になる。更に、それで事足りぬ場合にはその地形を活かしロケセットを建てる。『豪姫』の館や『炎上』のお寺も、大沢池の畔に建てられたものでした。ですから「あの映画のあのシーン、どこのお寺で撮ったのですか」と訊ねられても、それは撮影終了と共に消え去っている、そんな事例もしばしばです。