京都市メディア支援センター

京都の映画文化と歴史

第12回

嵐山から奥嵯峨に見る映画の地

京都の一大観光地"嵐山"。そして嵐山から少し足を伸ばすと、日常の喧騒を離れた"奥嵯峨"へ。ここは、観光を楽しみながら同時に心の安らぎも得られる映画ゆかりの地です。


嵐山から奥嵯峨に見る映画の地
場所:嵐山渡月橋付近〜嵯峨鳥居本

渡月橋を挟んで下流は桂川、上流は大堰川と呼ばれています。桂川の河原もさることながら、大堰川の両岸でも、間近に迫る小倉山と嵐山の景観を活かして度々撮影が行われてきました。(『序の舞』(1984年/東映/中島貞夫監督)等)



<『制覇』(1982年/東映/中島貞夫監督/三船敏郎・岡田茉莉子出演)>

臨済宗天龍寺派、大本山の名刹「天龍寺」。こちらも古くから映画のロケ地としてお馴染みの場所です。広大な寺領を有しており、本山の美しい庭園は三船敏郎・岡田茉莉子出演の『制覇』でも登場し、見事な紅葉で有名な塔頭の「宝厳院【ほうごんいん】」も江戸時代から名園と謳われ、数々の場面がフィルムに収められてきました。
さて、天龍寺より北西へ向うと、静けさの漂う"奥嵯峨"へ足を踏み入れます。


大河内山荘庭園

鬱蒼とした竹林を進んで行くと、小倉山の山麓にあるのは「大河内山荘庭園」。大正の無声映画時代から戦後まで活躍した時代劇の大スター、大河内傳次郎(1898-1962)の別荘だった所です。こちらは日本の伝統的な建築物や様々な植物、保津川等の景観が望める回遊式借景庭園となっています。
園内には「大河内傳次郎記念館」も併設されており、映像やパネル、貴重な遺品などの展示と共に彼の足跡を知ることができます。

大河内山荘からさらに奥へと足を進めると静かな趣きの寺社が点在しています。その風情は映画人にも愛されてきました。
小倉山の山腹斜面にある「常寂光寺」。境内奥まで行くと見晴らしもよく、塀のない境内は秋になると全体が紅葉に包まれ、正に常寂光土の観がある絶好のロケーションとなります。(『美しさと哀しみと』(1965年/松竹/篠田正浩監督)、『時雨の記』(1998年/東映/澤井信一郎監督/渡哲也・吉永小百合出演)等)。
そして、剣戟【けんげき】王・阪東妻三郎の眠る「二尊院」は、山門からつづく石畳の参道、鬱蒼とした古木に覆われた裏手の墓地等が、幾度となくスクリーンに登場しました。(『炎上』(1958年/大映/市川崑監督)、『薄桜記』(1959年/大映/森一生監督)等)
なお、阪東妻三郎の本名の姓は田村。そう、俳優の田村高廣、正和、亮は、彼の子息です。


化野念仏寺

清滝街道へ抜ける道の手前にあるのは「化野[あだしの]念仏寺」。約8,000体の無縁仏の石像が立ち並び、無常観を漂わせています。


吐夢地蔵

こちらの境内の木陰には「吐夢【とむ】地蔵」と名付けられたお地蔵様が安置されています。隣に立てられた駒札から、日本が誇る映画監督・内田吐夢(1898-1970)ゆかりのお地蔵様であることが分かります。実は、自身の監督作『大菩薩峠』の中に登場したお地蔵様で、その役割は盲目の剣士・机龍之助を涅槃の境地へと導いていくというものでした。
一人暮らしを好んだ吐夢監督は、切り出された部分が残るこの未完成のお地蔵様を終生愛し、自宅の庭に安置していたと言います。そのお地蔵様が彼の死後、映画人の手によりここ化野念仏寺へと移され、今も変わらぬ優しい表情で訪れる人を見守っているのです。


嵯峨鳥居本

化野念仏寺もあるこの地域一帯は嵯峨鳥居本といい、伝統的建造物群保存地区に指定されています。美しい自然のなか、愛宕神社の参道に沿って町家やかやぶきの民家が見られる風情ある街並みは、江戸と京を結ぶ街道として時代劇にしばしば登場します。


MAP


column

大河内傳次郎さんと言えば『丹下左膳』。大河内傳次郎記念館には、あの異形の剣士の等身大の写真が飾られています。まさに日本映画史を彩る偉大なスターで、伊藤大輔監督とコンビで作られた『忠治旅日記』や『丹下左膳』は、不朽の名作として今に残されています。
大河内山荘は、禅に深く傾倒していた大河内さんが30年の歳月をかけて創り上げた山荘で、設計から建築素材の選定まで全てを自身の手で行いました。特に晩年は、撮影の仕事以外は、その殆どの時間と財産をつぎ込んだ、いわば大河内傳次郎の生の証、生を賭しての作品だと言えるでしょう。


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