京都市メディア支援センター

京都の映画文化と歴史

第3回

二条城撮影所跡

明治43年(1910)、牧野省三と手を組んだ横田永之助が興した横田商会は、京都では初めての撮影所を開設しました。その場所は・・・。


二条城撮影所跡
場所:中京区西ノ京北聖町
(中京中学校・東南角)


二条城撮影所跡 石碑

京都観光の人気スポット、世界文化遺産でもある二条城。何と京都で最初となる撮影所は、その二条城の西南隅櫓【すみやぐら】の、道を隔てたところに建てられました。それ故、通称「二条城撮影所」と呼ばれていますが、正式名称はありません。規模は、およそ300坪(約990㎡)の敷地に2間×4間(16畳)の板敷の舞台をしつらえ、それを開閉自由な天幕で覆うという簡単なもので、背景はすべて書割【かきわり】(木の枠に紙や布を張り建物や風景を描く大道具のひとつ)でした。
 当事は照明機材など無く日光で撮影を行い、しかもカメラはずっと据え置きなので、狭くても撮影が可能だったのでしょう。
 現在この記念すべき地には、京都市・京都市教育委員会による碑文の刻まれた記念碑が設立されています。


「二条城撮影所跡」碑文



<『忠臣蔵』(1959年/東映/松田定次監督/片岡千恵蔵出演)>

これまで二条城では、幾度となくロケーションが行われています(『御法度』(1999年/松竹/大島渚監督/ビートたけし・松田龍平出演)等)。二条城撮影所があった当時も、二条城周辺ではずいぶんと撮影されたことでしょう。

ところがこの二条城撮影所は間もなく手狭となり、一年ばかりで閉鎖。明治45年(1912)1月には、通称「法華堂【ほっけんどう】撮影所」が建設されます。場所は北野天満宮の南方にある十如寺【じゅうにょじ】の北側で、ここでは牧野省三が尾上松之助と組んで数多くの映画を作りますが、現在撮影所の痕跡は何も残っていません。


日活大将軍撮影所

大正7年(1918)頃、法華堂撮影所は北区大将軍一条町の通称「日活大将軍撮影所」へと移転し、本格的な撮影所となっていきます。こうして京都で映画が産業として根付き始めました。


大将軍商店街

大将軍撮影所にほど近い、一条通沿いにある"大将軍八神社"には、寄進者である牧野省三と尾上松之助の名が刻まれた石の玉垣が、今も鳥居の横に並んでいます。
またこの一条通は平安時代、古道具が妖怪となり、百鬼夜行を行った場所だそうです。現在大将軍商店街では、一条通を妖怪ストリートと名づけ、妖怪とエコロジーを結びつけて町おこしをしています。一度妖怪にあふれる町を覗いてみると面白いですよ。


MAP


column

映画は光と影の芸術です。光と影を如何にフィルムに定着させるか。その為には、表現者による光のコントロールが何よりも大切でした。
こうして撮影所は産まれたのですが、映画製作の歴史、特に京都のそれを顧みると、撮影所の果した役割は実に多大で、映画全盛期の昭和の時代(昭和30年代頃)には、映画製作の全工程に必要な全ての機能が、撮影所に集約されるようになりました。撮影所システムと呼ばれ、映画製作の中心は全てこの撮影所に委ねられ、同時に技術の伝承、人材の育成も、この撮影所が担っていたのです。


ロケ地情報
撮影関連事業者
ボランティア・エキストラ
フォトライブラリー
ロケ地をめぐる旅
ロケ支援実績
京都の映画文化と歴史
お問い合わせ
とっておきの京都

『とっておきの京都』とは...