京都市メディア支援センター

京都の映画文化と歴史

第11回

松竹京都撮影所

かつて"日本のハリウッド"と呼ばれた映画の都"太秦"にも、新しい映画の息吹が芽生え始めています。


松竹京都撮影所
場所:右京区太秦堀ヶ内町

東映京都撮影所と並ぶ、京都のもう一つの撮影所、それが「松竹撮影所」です。平成21年(2009)春にリニューアルし、人材育成と研究開発を目的に、松竹・立命館・京都府による、産学公連携の試みが行われています。



マキノトーキー製作所

この撮影所の歴史も古く、始まりは昭和10(1935)、マキノ雅弘によって設立された「マキノトーキー製作所」まで遡ります。時代は無声映画から音付きの映画へ移り変わりつつある頃。この撮影所も東映京都撮影所同様、幾度かの変遷の歴史をたどって現在に至りました。

生み出された作品群は、我々のよく知るものばかり。TV時代劇『必殺シリーズ』『鬼平犯科帳』、劇映画『226』(1989)、『利休』(1989)、『たそがれ清兵衛』(2002)、『鴨川ホルモー』(2009)等々。そして2010年の『京都太秦物語』は、立命館大学の学生さんたちが取材から撮影まで関わった、産学公連携による初の作品となりました。
これから京都映画はどのような未来を歩んでいくのでしょう。その答えが、この撮影所で一つ一つ形になりつつあるのです。
なお撮影所内は原則非公開となっていますが、様々なイベントで公開される時期もあります。
松竹撮影所を出て東へ向かうと、嵐電・帷子ノ辻駅があります。ここから西の終点・嵐山駅までの間にも、映画ゆかりの場所がつづきます。


「車折神社」【くるまざきじんじゃ】

「車折神社」【くるまざきじんじゃ】。
車折神社駅を降りるとそこが神社の境内。この神社は、芸能社のある珍しい神社です。様々な映画人、俳優、タレントが参拝する社で、境内には名前入りの玉垣がたくさん奉納されています。

「鹿王院」【ろくおういん】。
鹿王院駅下車すぐにあるこのお寺も、度々映画のロケ地となってきました。長い参道には椿が咲き、秋には嵐山を借景として紅葉と苔の覆う枯山水庭園が美しい、風情あふれる寺院です。


<『勢ぞろいの喧嘩若衆』(1955年/佐伯清監督/中村錦之助出演)>

「渡月橋」【とげつきょう】。
電車は終着の嵐山駅へ。大堰【おおい】川(桂川)に堂々とかかる渡月橋は、山々を背景として四季折々に美しい情景を生み出しています。この際立った景観から、現代劇、時代劇を問わず渡月橋そのものとしてしばしば場面に登場します。(『悪名』(1961年/大映/田中徳三監督)、『美しさと哀しみと』(1965年/松竹/篠田正浩監督)、『華の乱』(1988年/東映/深作欣二監督)等)
そしてここ嵐山周辺は、京都の一大観光地であると同時に、絶好のロケ地でもあります。


MAP


column

時代劇の第一期黄金時代とも言える昭和の初期、ご紹介した撮影所の周辺にも、太秦には沢山の撮影所がありました。片岡千恵蔵さんの千恵プロ撮影所、嵐寛寿郎【あらしかんじゅうろう】さんの寛プロが使用した双ヶ丘【ならびがおか】撮影所等々、まさにそれが太秦が日本のハリウッドと呼ばれた由縁です。では何故、太秦に撮影所が集結したのか。それにはいくつかの理由が考えられます。まずは、洛外だった太秦は土地代が安かったこと。そして、材木屋さんが多数この地にあったことです。撮影所にとって材木はセット作りの為欠かすことが出来ません。
そう、時代劇によく出てくる江戸の材木問屋や木場の風景。そのロケ地は、撮影所から歩いて行けるこうした材木屋さんで行われておりました。


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