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約1500年前に行われた、五穀豊穣を祈る祭事が起源

葵祭の起源は『賀茂旧記』によると、その祭祀の起源は太古御祭神・賀茂別雷大神が神山に御光臨される際、神託により葵を飾り、馬を走らせ、神迎えの祭りを行ったことに始まるとされています。約1500年前、欽明天皇(在539~571)の頃に遡ります。風雨が続き、五穀が実らなかったため、勅命により当時賀茂の大神の崇敬者だった卜部伊吉若日子に占わせたところ賀茂大神の祟りであるとわかり、旧暦4月に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)を行いました。すると風雨がおさまり、五穀も豊かに実って国民も安泰に。この行事が葵祭のルーツとされています。819年には、律令制度で最も重要な恒例祭祀に準じて行う国家的な行事となりました。

平安中期の貴族の間では、「祭り」と言えば葵祭をさすほど有名で、「枕草子」や「源氏物語」といった文学作品にも登場しています。もともとは「賀茂祭」と呼ばれていましたが、江戸時代に、当日の内裏宸殿の御簾や牛車などに二葉葵を飾ることから葵祭と呼ばれるようになったと言われています。平安時代以降、応仁の乱後の約200年、明治4(1871)年~明治16(1883)年、昭和18(1943)年~昭和27(1952)年と、3度の中断や行列の中止を経験。しかし復活を遂げ、現代まで王朝風俗の伝統を受け継いでいます。

行列コースと時間

行列順路

  1. 京都御所・出発(10:30)
  2. 堺町御門
  3. 丸太町通
  4. 河原町通
  5. 下鴨神社・到着(11:40)
    社頭の儀
  1. 下鴨神社・出発(14:20)
  2. 下鴨本通
  3. 洛北高校前(14:40)
  4. 北大路通
  5. 北大路橋(14:55)
  6. 賀茂川堤
  7. 上賀茂神社・到着(15:30)
    社頭の儀

※( )は行列先頭通過予定時刻

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風雅な王朝行列
「路頭の儀」

京都御所より、下鴨神社を経て、上賀茂神社へと向かう行列「路頭の儀」は、さながら現代によみがえった平安絵巻。総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2基、輿1台による王朝行列が、およそ8キロの道のりを巡行します。

本列

乗尻(のりじり)

乗尻(のりじり)

行列を先導する騎馬隊で、左右各3騎。上賀茂の競べ馬の騎手。古くは六衛府の衛士(えじ)がこれにあたったといわれています。
検非違使志(けびいしのさかん)
検非違使庁の役人で、警察司法の担当者。六位の武官。この日は舎人(とねり)の引く馬に騎乗し、看督長(かどのおさ)、火長(かちょう)、如木(にょぼく)、白丁(はくちょう)など下役を率いて行列の警備にあたります。
検非違使尉(けびいしのじょう)

検非違使尉(けびいしのじょう)

検非違使庁の役人で、五位の判官。志の上役で行列の警備の最高責任者です。舎人の引く馬に乗ります。また、尉、志ともそれぞれ調度掛(ちょうどがけ)に弓矢を持たせ、鉾持(ほこもち)に鉾を持たせて武装しています。
山城使(やましろつかい)

山城使(やましろつかい)

山城介(やましろのすけ)で、山城国司の次官、五位の文官です。賀茂の両社とも洛外になるので、山城の国司の管轄区域になるため警護の任につきます。舎人が馬の口を取り、前後に馬副(うまぞい)がつきます。あとに手振(てふり)、童(わらわ)、雑色(ぞうしき)、取物舎人(とりものとねり)、白丁など従者が山城使の所用品を携えます。
御幣櫃(ごへいびつ)
賀茂両社の神前に供える御幣物を納めた櫃で、下社二座、上社一座、合わせて三合の白木の唐櫃に注連縄をかけ、白丁にかつがれていきます。衛士が先導します。
内蔵寮史生(くらりょうのししょう)

内蔵寮史生(くらりょうのししょう)

内蔵寮の七位の文官で、御幣物を管理しています。所用品を携えた雑色、白丁を従えています。
馬寮使(めりょうつかい)
走馬をつかさどる左馬允(さまのじょう)は、六位の武官。騎乗し、弓矢を調度掛に持たせています。
牛車(ぎっしゃ)

牛車(ぎっしゃ)

俗に御所車といわれ、勅使の乗る車。藤の花などを軒に飾り、牛に引かせています。現在、勅使が乗ることはなく、行列の装飾です。牛童(うしわらわ)、車方、大工職などの車役が、替え牛とともに従います。
御馬(おうま)
御馬(おうま)
下鴨・上賀茂両社の神前で牽き廻し、神にご覧に入れる馬で、2頭の馬の頭と尾には葵、桂、紙垂れをつけています。1頭に4人の馬部(めぶ)がついて引いて行きます。
和琴(わごん)
和琴(わごん)
御物の和琴で「河霧」の銘を持っています。神前の奏楽用として運ばれます。
舞人(まいびと)
舞人(まいびと)
近衛府の五位の武官で、歌舞の堪能者がこの日の舞人を勤めます。6人が騎乗でお供し、それぞれ雑色、舎人、白丁が従います。
陪従(べいじゅう)
陪従(べいじゅう)
近衛府の五位の武官で蛮絵(ばんえ)の束帯、騎馬姿です。この日は賀茂両社の社頭で歌をうたい、楽器を奏する役を勤めます。7騎が各種楽器を携え、それぞれ雑色、舎人、白丁が従います。
内蔵使(くらづかい)
内蔵使(くらづかい)
内蔵寮の次官で五位の文武兼官。職名は内蔵助。勅使が神前で奏上する御祭文を奉持しています。騎乗し、馬副、白丁らが従います。
近衛使代(このえつかいだい)
[勅使(ちょくし)]

勅使(ちょくし)

天皇の使いで、行列中の最高位者。四位近衛中将がこれを勤めるので、近衛使(このえづかい)とも言われます。現在、勅使は路頭の儀には加わらず、近衛使代が勤め、当時の様式どおり、飾太刀、騎乗する馬も美々しい飾馬で、朧(御馬役人・くとり)が口を取ります。舎人、居飼(鞍覆持・いかい)、手振が従います。
牽馬(ひきうま)
牽馬(ひきうま)
勅使の替え馬で、帰路に備えます。舎人が牽きます。
風流傘(ふりゅうがさ)
風流傘(ふりゅうがさ)
大傘の上に牡丹など季節の花(造花)を飾り付けたもの。行列の装いとして取物舎人4人でかざしていきます。
風流傘(ふりゅうがさ)
風流傘(ふりゅうがさ)
先の風流傘とは造花が少し異なります。本列の結びとなります。

斎王代列

命婦(みょうぶ)
女嬬(にょじゅ)
女官の通称で、小桂(こうちき)を着用する高級女官。花傘をさしかけます。
女嬬(にょじゅ)
女嬬(にょじゅ)
食事をつかさどる女官。
斎王代(さいおうだい)

斎王代(さいおうだい)

斎王は、平安時代には内親王が選ばれて祭に奉仕したものですが、現在は未婚の市民女性から選ばれるので、斎王代と称されます。御禊(みそぎ)を済ませた斎王代は、五衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)、俗に十二単(じゅうにひとえ)の大礼服装で、供奉者にかつがれた腰輿(およよ)という輿に乗って参向します。
騎女(むなのりおんな)

騎女(むなのりおんな)

斎王付きの清浄な巫女(みかんこ)で、騎馬で参向するのでその名があります。6騎の女丈夫。
蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)
蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)
斎院の物品、会計をつかさどる蔵人所の、雅楽を演奏する文官で、それぞれ楽器を持っています。
牛車(ぎっしゃ)

牛車(ぎっしゃ)

斎王代列の牛車。この牛車には、葵と桂のほか桜などの飾りがつきます。
釆女(うねめ)

釆女(うねめ)

食事・供奉に奉仕した後宮の女官で、頭から心葉をつけ、一番上に小忌衣でその下に唐衣、更に絵衣(五色の花模様)を着用し、小袖に緋袴をはく。

葵祭の日に併せて訪ねてみませんか?

閑院宮邸跡収納展示館

概要
四親王家の一つ、閑院宮家の屋敷跡。
京都御苑の自然や歴史を学べる収納展示室と庭園を公開。VRシアターを併設。
開館時間
9:00~16:00(16:30閉館)
通年(月曜日、年末年始を除く)月曜日が祝日の場合は開館
※葵祭開催日は臨時開館します
入場料
無料
アクセス
地下鉄烏丸線「丸太町」
お問合せ
(一財)国民公園協会京都御苑
TEL:075-211-6364
※庭園は月曜日も見学できます。
通年開園(年末年始を除く)、開館時間9:00~16:30

拾翠亭(旧九條家遺構)

概要
今から約200年前の江戸時代後期に建てられたといわれています。五摂家の1つであった九條家のもので、建物は2階建てで、茶会や歌会などの社交の場として利用された空間を今に残しています。
参観時間
9:30~15:30(閉門)見学受付は15:15まで
年末年始を除く毎週木・金・土曜日及び葵祭・時代祭の日(但し諸事情により見学できないこともあります)
参観料
300円(中学生以下無料)
アクセス
地下鉄烏丸線「丸太町」
お問合せ
(一財)国民公園協会京都御苑
TEL:075-211-6364

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「葵祭に行くっ」

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