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禁門変長州藩殉職者墓所

禁門変長州藩殉職者墓所

 この墓地の中に、元治元年(1864)の禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変、甲子(かつし)の変ともいう)ご戦死した長州藩士の墓がある。  攘夷派の先鋒であった長州藩は、この前年文久3年8月18日の政変で京都での地位を失ったが、長州藩は依然攘夷派の拠点となり、勢力回復の機会を待った。池田屋事件で多数の志士が斬られたことに憤激して藩論はわき、家老福原越後らに率(ひき)いられた長州軍が京都に近づき、朝廷への強訴を企てた。朝廷、幕府側は、会津、薩摩軍がこれを防ぎ、7月19日早朝、御所の蛤御門を中心に激しい合戦が行なわれたが、結局長州軍は敗退した。合戦で殉難した長州藩士は約200名に上るが、うち20数名がこの墓地に葬られた。しかしその氏名は、湯川庄蔵、有川常槌(つねつち)の2人が判明するだけである。上京区相国寺内

基本情報

正式名称 禁門変長州藩殉職者墓所
住所・所在地 相国寺内

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