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退耕庵

退耕庵

 臨済宗東福寺の塔頭寺院である。貞和2年(1346年)東福寺第43世住持性海霊見)によって創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃したが、慶長年間(1596年~1615年)安国寺恵瓊によって再興された。
 客殿は、再興時に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉の没後、客殿の中にある茶室作夢軒で、恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが、関ヶ原の戦いの謀議を行ったと伝えられている。
 庭園は、書院をはさんで南北二庭からなり、南庭は美しい苔に覆われた枯山水庭園で、北庭は池泉式庭園となっている。
 地蔵堂に安置する高さ2メートルの地蔵菩薩像は、体内に小野小町に寄せられた多数の艶書を収めていたことから「玉章地蔵」の名で知られている。
 なお、慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いの際には、東福寺に長州藩の陣が置かれていたことから、当庵はその戦いの殉難者の菩提所となっている。

京都市

基本情報

正式名称 退耕庵
よみがな たいこうあん

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