「延暦武官行進列」&「延暦文官参朝列」

「延暦武官行進列」&「延暦文官参朝列」

「延暦武官行進列」の大将は征夷大将軍「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」です。

一般に初代征夷大将軍は「大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)」とされ、「坂上田村麻呂」は二代目とされています。「坂上田村麻呂」は副将時代から蝦夷征討に任務につき、現在の宮城県・岩手県一帯を掌握して大和朝廷に服属していなかった部族連合の首長「アテルイ」らを投降させ、都に連行し平和的な蝦夷問題解決を求めて京に凱旋(がいせん)しました。また彼は「清水寺」の創建に深く関わっています。清水寺縁起では田村麻呂が身重の妻を元気づけようと、鹿を求めて、音羽山の山中に狩りにやってきたことが記されています。そこで出会った延鎮(えんちん)上人に殺生を戒められ、改心して寺の創建に力を注ぐことになりました。

「延暦文官参朝列」は桓武天皇や最澄、空海のいたころの文官(事務系官僚)たちの朝廷での正装の様子を表しものです。この列が時代行列のトリを務め、後ろには「神饌講社列(しんせんこうしゃれつ)」「前列(ぜんれつ)」「神幸列(しんこうれつ)」「白川女献花列(しらかわめけんかれつ)」「弓箭組列(きゅうせんくみれつ)」と続きます。

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