葵祭の本名・別名

葵祭の本名・別名

現在「葵祭」として世に知られているこの祭礼の正式名称「賀茂祭」です。古くは「みあれ」とも呼ばれました。天皇が賀茂の神様、つまり賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の神様へ勅使を使わしたのがルーツであることから、「賀茂祭」と呼ばれたのです。ちなみに上賀茂神社の主祭神は「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」、下鴨神社の主祭神は「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」と「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」。「玉依姫命」は「賀茂別雷命」のお母さん、「賀茂建角身命」はお祖父さんにあたります。平たくいいますと、下鴨神社には、上賀茂神社の神様の母と祖父が祀られているのです。ですから賀茂「御祖」神社なのです。

平安時代には、「祭り」といえばこの「賀茂祭」を指しました。また春日祭・石清水放生会(石清水祭)と並んで、日本三勅祭の一つに数えられています。石清水祭を「南祭」と呼ぶのに対して「北祭」と呼ばれることもあります。「葵祭」と呼ばれるようになったのは、どうやら元禄時代の復興期のころのことだそうです。行列に参加する人たち、牛車や牛、馬にも「二葉葵」の葉をつけることから、そう呼ばれるようになりました。

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