平安時代<後期>(1068~1192)3

平安時代<後期>(1068~1192)3
へいあんじだい<こうき>(1068~1192)3

●嵯峨に愛をうずめた女たち
嵯峨の祇王寺は、平清盛の寵愛を受けていた白拍子の祇王が妹の祇女、母の刀(と)自(じ)とともに髪をおろして庵を結んだ寺。同じ白拍子の仏御前に気持ちが移った清盛に、仏御前のための歌や舞いを求められ、その悲しみに死ぬこともままならず出家するが、のちに尼になった仏御前までこの庵にやってくる。かくて清盛の気紛れに翻弄された四人の女は、朝夕念仏を唱えて往生を全うしたと伝えられる。草庵に入ると四人の女たちの木像と清盛の像も安置されている。渡月橋の北詰を大堰川に沿って少し北にいくと小督塚があり、高倉天皇と小督の悲しい恋物語を伝えるところ。「禁中一の美人、ならびなき琴の上手」といわれ高倉天皇に愛された小督だが、高倉帝の妃徳子の父清盛は小督を疎んじ、尼にして追放してしまう。高倉帝が嵯峨野に隠れ住んだ小督を探し求める物語のくだりは、秋の月、琴、笛と王朝ムードにあふれている。

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